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June 0662009

 妙なとこが映るものかな金魚玉

                           下田實花

余りの上五の口語調が、新橋の芸妓であった實花らしいちゃきちゃきした印象。団扇片手に涼んでいたら、縁先に吊した球形に近い金魚玉に、あらぬ方向の窓の外を通る人影かなにかが動いて見えたのだろう。日常の中で、あら、と思ったその小さな驚きを、さらりと詠むところは、同じ芸妓で句友でもあった武原はん女と相通じている。實花、はん女、それにやはり新橋の芸妓で常磐津の名手であった竹田小時の三人が、終戦直後の名月の夜、アパートの屋上でほろ酔い気分、口三味線に合わせ足袋はだしで舞った、という話をはん女の随筆集で読んだ。その小時にも金魚の句〈口ぐせの口三味線に金魚見る〉がある。知人の金魚が金魚玉いっぱいに大きくなってしまった時、窮屈そうで気の毒と思うのは人間の勝手、あの子はあれで案外幸せなのよ、と言っていた。見るともなく金魚を見ている二人の芸妓。何が幸せ不幸せ、ときに自分を重ねてみたりすることもあっただろうか。『實花句帖』(1955)所収。(今井肖子)




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